高松地方裁判所 昭和38年(行)3号 判決 1967年5月30日
原告 山下貞子
被告 高松労働基準監督署長 杉浦栄一 外二名
主文
被告が昭和三四年五月二六日付をもつて原告の亡夫山下実太郎に対してなした労働者災害補償保険法による障害補償費を支給しない旨の処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、双方の申立
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、原告請求の原因
一、原告の亡夫山下実太郎(以下被災者と略称する。)は、昭和二四年九月四日香川県小豆郡内海町苗羽所在の丸金醤油株式会社工場において、仕込タンクの水洗作業に従事中、使用していた梯子がすべり約一・八メートルの高さから梯子もろともコンクリート上に真逆様に転落し、頭部打撲及び裂傷の業務上の負傷をし(以下本件受傷と略称する)、右負傷により動作遅鈍、左右手指運動障害の病状が生じ、昭和二九年八月五日京都大学医学部附属病院及び、昭和三二年一二月二一日岡山市所在の林精神医学研究所附属医院(以下単に林精神医院と略称する)において、それぞれパーキンソニスムスの診断を受けた。
そこで被災者は、現症は労働者災害補償保険法施行規則別表第一に定める障害等級第一級の五(半身不随となつたもの)に該当するとして、昭和三四年四月一六日被告に対し障害補償費(金四〇〇、五三九円)の支払を請求したところ、被告は同年五月二六日付をもつて右障害補償費を支給しない旨の本件行政処分(以下単に本件処分という)を通告してきたので、被災者が同年六月二四日前記病状の進行により死亡した後、同人の妻である原告は、被告の右処分を不服として所定の期間内に香川労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、右審査請求が棄却されたので、原告はこれを不服として所定期間内に労働保険審査会に再審査の請求をしたが、昭和三七年一二月二一日右再審査請求は棄却され、その裁決書の謄本は昭和三八年三月二四日原告に送達された。
二、被告が昭和三四年五月二六日付で前記障害補償費不支給決定をした理由は左記のとおりである。
(1) 被災者が昭和二四年九月四日頭部外傷を受けたことは事実であるが、主治医の医証によるも頭部外傷は単なる頭部裂傷であつて、頭蓋内出血、頭蓋骨折、脳挫傷等も認められず意識障害、脳震盪もなく、極めて短期間(一〇日間)で治癒し、その後平素のとおり労働につきえたものであるから、この際の頭部外傷は脳実質に変化を生ぜしめる程の重傷であつたとは考えられない。
(2) 被災者の疾病である「パーキンソニスムス」は外傷に起因するよりも、脳炎等に原因することが遙かに多い。
(3) 本症は極めて緩慢に進行するものであつて、発病の時期が不明確である。
(4) 当署において調査したところでは、被災者の同僚及び知人からの聴取りによつて、被災者には受傷前にも該疾病特有の症状を呈していたと認められる。
(5) 被災者は入隊中脳を病み動作に異常を呈したことがあり、本病と何らか関連があるように考えられる。
(6) 今次の負傷以前にも、頭部外傷を受けた事実がある。
(7) 被災者に遺伝的素質のあることが調査の結果明らかとなつた。
三、しかしながら、右各処分理由はいずれも不当なものであり、その調査方法も被告の一方的な証拠集収によつた不当なものである。
被災者は、前記のとおり昭和二四年九月四日業務上の負傷をし、同日小豆郡内海町所在の内海病院に入院し、五日間入院した後、自宅で一〇日間休養したのみで職場に復帰した。しかし、被災者は、前記事故により脳損傷を蒙り、その結果約一ケ月後には手首に倦怠感を覚え、動作は急激に緩慢となつたが、そのまま勤務を継続するうち、病状は徐々に進行し、昭和二六年七月一五日には再び職場で足を滑らせ、腰部と胸部を打撲して二三日間治療のため休業することを余儀なくされた。このようにして被災者は労働に適さなくなつたため、同年九月二五日をもつて会社の人員整理の名のもとに馘首されるに至り、爾後自宅療養に励んだが、動作遅鈍、左右手指運動障害等の病状は日増しに悪化したため、各病院で受診したところ、昭和二六年一〇月三日前記内海病院では、麻痺性痴呆症、昭和二八年一〇月三日高松市所在の大西精神病院では、精神分裂症、昭和二九年三月八日高松赤十字病院では硬膜下出血、同年八月五日京都大学医学部附属病院では、「パーキンソニスムス」とそれぞれ診断を受けたため、さらに昭和三二年一二月二一日岡山市所在の林精神医院で診断をうけたところ、次の結論が出された。
(1) 傷病名 外傷性「パーキンソニスムス」
(2) 原因 頭部外傷と推定される。
(3) 初診時の所見、療法及び経過 初診昭和三二年一二月二一日、発病は受傷後約二年頃と推定、顔面仮面様、顔面筋ことごとく凝固し、眼瞼強く震盪す。右鼻唇溝は稍々浅く、口を開くに甚だ緩慢で振顫を伴う、膝蓋腱反射及びアヒレス腱反射は左弱く反応せず。手指の散開は極めて狭範囲であつて一分後には散開した手指自ら相寄り元の非散開の状態となる。内臓には異常がない。バビンスキー、オツペンハイム、ベデガーの反射等は右逆バビンスキー左平静、ゴルドン反射は両側共に逆バビンスキーを呈している。感覚には異常がない。前突傾向著明、筋すべて強直を伴い、軟膏顔で雲脂がひどい。言語はやや鼻にかかる。交互運動機構はすこぶる悪い。上肢水平挙上は一分後に下降し、右に著しい。
(4) 本件受傷と本症との因果関係に対する意見、被災者の病症は「パーキンソニスムス」である。家族歴を調べて見ると前系には一人も同様の病気になつた人もないようである。脳炎その他の疾患になつたこともない。その上腱反射その他の状態により、自然に発生する「パーキンソン」氏病ではなく「パーキンソニスムス」であることは明瞭である。これは何んらかの外来の原因なくして起ることはない。被災者には外傷(本件受傷を指す)の立派な歴史があり、外傷後約二年して発病したと思われる。すくなくとも昭和二九年一一月二〇日付の京都大学精神科の回答文要約によれば、当時「パーキンソニスムス」であることが了解される。従つてこの病気はそれよりも前、受傷後二年ないし三年の間に漸次発展したものと考えられる。この場合その原因を外傷に求めるのは精神医学の常識である。
四、以上のとおり、被災者の本件疾病は、前記の昭和二四年九月四日の受傷に基因する業務上の疾病と認めるべきであるから、右疾病と右受傷との間の因果関係を認めるに足る証拠がないとして、被災者の前記障害補償費を支給しないこととした被告の本件処分は違法であるから、被災者の妻であつてその債権を相続した原告は被告に対し右処分の取消を求める。
第三、被告の答弁
原告主張の請求原因事実に対し、
一、第一項につき、約一・八メートルの高さから梯子もろともコンクリート上に真逆様に転落したこと、動作遅鈍等の病状が同項記載の負傷を原因として生じたことは否認するがその他の事実は認める。
二、第二ないし第四項につき、被災者が本件受傷後一〇日間の入院、自宅休養をしたこと、昭和二六年七月一五日に被災者が原告主張のような受傷をし休業をしたこと、被災者が昭和二六年一〇月三日以降四ケ所で医師の診察を受けその主張のような診断を受けたこと(但し、大西精神病院では精神分裂症の疑であつた。)及び原告主張の相続をしたことはそれぞれ認める。
被告が昭和三四年五月二六日被災者の本件障害補償費請求に対し不支給の決定をした理由は被災者の本件疾病は、昭和二四年九月四日の受傷に基因するものとは認められないことであり、同年一〇月三一日被災者の香川労災保険審査官に対する審査請求が棄却された理由は、被災者の本件疾病と前記本件受傷との間に因果関係を認めるに足る証拠がなかつたことであり、さらに昭和三七年一二月二一日原告の労働保険審査会長に対する再審査請求が棄却された理由は、被災者の疾病の本態は定型的なパーキンソニスムスではなく、多分に性格偏倚が加わつたものであり、昭和二四年九月四日の本件受傷以前からすでに錐体外路系症状を呈していたことが認められると同時に、右受傷は極めて軽傷であつて脳実質を損傷したとする医師の所見がなく、その後パーキンソニスムスと診断されるまでに約八年の中断期があり、かつ、その間に確たる橋架症状も認められないから、本件受傷に基因する業務上の疾病と認めることは不可能であるというのである。
右理由のように被災者の本件疾病は私病に原因が存するのであつて、昭和二四年九月四日の本件受傷に基因するものではない。すなわち、
(1) 被災者は大正一五年頃現役兵として入隊したが、其の後の現役召集期間を通じて本件疾病を推測させる言動があつたうえ、昭和一五年四月一九日午前九時過頃、香川県小豆郡内海町橘、岩ケ谷間を貨物自動車に運転助手として乗車進行中、断崖より自動車もろとも転落し、その衝動のため一時失神したことがあつたため、動作遅鈍の程度が増強し、昭和一八年二月丸金醤油株式会社包装積込係として就職した頃には、その動作緩慢状態が継続露呈していた。被災者は就業中も怪我が多く、かつ、動作緩慢なため、会社側は、昭和二二年四月被災者を包装積込作業から軽作業に属する掃除、空樽運搬等を主に行う「整備雑役係」に配置換したのであるが、この作業に適さない程に挙措動作が緩慢であつたので、昭和二二年一〇月夜勤を主とし、筋肉労働を要しない守衛係に配置換を行つた。しかし、ここでも緊急用務に役立たないことから、昭和二三年七月「被災者には災害が頻発しているから危険作業にはなるべく使用しないこと」として再び整備雑役係に配置換を余儀なくされたという状態で、かつ、行動においても一点を凝視して歩み、人との語らいを厭い、黙々として日常生活をしていたから、被災者には本件受傷以前においても既にパーキンソニスムスの症状が発呈していたものである。
(2) 被災者の昭和二四年九月四日の受傷は、頭部に皮下に達する五センチメートルの長さの裂傷で、被災者の意識は明瞭で縫合五針、治療一〇日間で労務に従事することができる程度のもので、この間に他病の併発等の異変は認められずに全治し、内海病院退院の翌日である同年九月九日には俳句会に出席して投句しており、受傷前における状態と何らの変化は認められず、同年一一月一四日の健康診断の際にも右受傷等による異常は認められなかつたが昭和三三年一月三一日までの間に亘る数多の医師の診断により、はじめて病名がパーキンソニスムスであると判断せられるに至つたのであるから、前記本件受傷が直ちにパーキンソニスムスの原因となるとは到底考えることはできない。
以上のとおり、被災者の本件疾病と本件受傷との間に因果関係があるものとは認められないから、これを理由として本件障害補償費を被災者に対し支給しないものとした被告の本件処分には何らの違法はないから、原告の被告に対する本訴請求は失当である。
第四、証拠関係<省略>
理由
一、(当事者間に争いのない事実)
被災者が昭和二四年九月四日、香川県小豆郡内海町苗羽所在の丸金醤油株式会社工場において仕込タンクの水洗作業に従事中頭部打撲及び裂傷の業務上の負傷をしたこと、その後被災者には動作遅鈍、左右手指運動障害の病状が生じ、昭和二九年八月五日、及び昭和三二年一二月二一日にそれぞれ京都大学医学部附属病院及び林精神医院においてパーキンソニスムスの診断を受けたこと、そこで、被災者は、昭和三四年四月一六日被告に対し障害補償費の支払を請求したところ、被告は同年五月二六日付をもつて、被災者の前記疾病は前記受傷に基因するものとは認められないとの理由をもつて、右障害補償費を支給しない旨の本件処分を通告したこと、原告が右処分を不服として所定の期間内に香川労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、右請求が棄却されたこと、さらに原告はこれを不服として所定期間内に労働保険審査会に再審査の請求をしたが、昭和三七年一二月二一日右再審査請求は棄却され、その裁決書の謄本は昭和三八年三月二四日原告に送達されたこと、被災者は昭和三四年六月二四日死亡し、原告はその妻であつて被災者の債権を相続したことはそれぞれ当事者間に争いがない。
二、(本件受傷について)
証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証、成立に争いのない乙第一七号証、証人原田正雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第三二号証の二、証人小豆保次、同炭野与四郎、同山下孝子、同岡邦重、同原田正雄、同林道倫の各証言、原告本人尋問の結果(第一及び第二回)及び検証の結果によれば、昭和二四年九月四日午前一〇時三〇分頃、被災者は、同僚の炭野与四郎及び岡邦重とともに、丸金醤油株式会社本社工場内にある深さ二・三メートル、縦四・一メートル、横三・一六メートルのコンクリート作りで内側表面にアスフアルトが塗られた、当時もろみを出してからになつていた仕込タンク内の水洗作業をするため、同タンク内に掛けられてあつた梯子を底から約一・二メートルのところまで下りていた際、右梯子が滑べり、仰向けに右タンクの底に転落し、そのため頭頂部付近を右タンクの底で打ち、頭頂部のやや後部よりを横断し皮下に達する長さ約五センチメートルの裂傷を負い出血したこと、右受傷後被災者は目がくらみ気が遠くなつたため仰向けに右タンク底に倒れたままであつたため、右タンク内にいた前記岡邦重が被災者を起こし、背負つて右タンク内からつれ出したこと、右受傷では頭蓋骨には異状はなかつたが、同日内海病院に入院し、右傷口の縫合(五針)を受け、経過良好で五日後には退院し、更に約一〇日間自宅で休養した後、再び勤務についたことがそれぞれ認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三、(本件受傷後本件疾病となるまでの経過)
成立に争いのない乙第一号証の一、二、同第五号証、同第一四号証、同第一七号証及び同第三一号証、証人香西郁哉の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第六号証及び同第二〇号証、証人藤本種二、同長木忠、同小豆保次、同山下孝子、同萩筆三郎、同藤井藤太郎、同林道倫の各証言並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、被災者は、前記認定のように受傷したため入院し、退院後自宅で休養した後、前記丸金醤油株式会社に整備雑役係として出勤していたが、出勤後一ケ月を経過した頃から自転車に乗るためハンドルを握ると手がしびれる様な感じがしだし、両手及び頸部にも倦怠を感じ、前記受傷後約一年を経過した頃には手がしびれるような感じがし、自転車のハンドルを確実に握れないようになり、安全に運転できなくなつたため、通勤に自転車を使用できなくなつたこと、昭和二六年二月からは被災者の動作が非常に緩慢になつたため、比較的危険の少ない容器整備雑役係に職場を変えられたこと、右職場に移つた頃には相当動作が鈍くなり、物を取り上げるのにも非常にゆつくりと物の方へ手をのばし、またそろそろと取り上げるため通常人よりも非常に時間がかかる様になり、歩行中も前方を見つめたまま歩くため、知人がすれ違いに挨拶をしても気付かないような状態であつたこと、昭和二六年七月一五日、原料をトラツクに積み込む作業中、トラツク上で足を滑らし、仰向けに倒れて背部打撲傷を負い二〇日余り休業したこと、右の事故は通常人ならば滑つたりしないと思われるのにふらついて滑つたため生じたものであること、昭和二六年九月頃、前記丸金醤油株式会社を退職した頃には手の動作が著しく緩慢になり、食事の際にも箸で食物を口にもつて行くにも従前より著しく時間がかかる様になつたこと、同年一〇月三日には動作遅鈍となり、言語緩慢、左右手指運動障害のため握力が低下したので内海病院において診察を受けたこと、昭和二九年九月頃には、歩行姿勢は前かがみになつて飛ぶような状態で前方の一点を注視しているような状態で歩行していたこと、その間同年三月高松日赤病院でパーキンソニスムスの診断を受け、その後同年六月に京都大学附属病院では典型的なパーキンソニスムス、即ち、筋緊張亢進、運動減少症、精神性運動緩慢の状態にあるとしてパーキンソニスムス(頭部外傷後遺症)の診断を受け、昭和三二年二月に香川県立中央病院、同年七月に丸亀病院、同年一二月に林精神医院で、それぞれ同様の診断を受けたこと、右林精神医院で診察を受けた際には、被災者の顔面は仮面様で顔面筋ことごとく凝固し、眼瞼が強く震盪し口を開く際には非常に緩慢で振顫を伴い、感覚には異常はないが、前突傾向が著明で、筋すべて強直を伴い、軟膏顔で雲脂がひどく、交互運動機構が非常に悪いなど錐体外路中枢障害の症状を呈し、被災者は身体が衰弱し、歩行も充分にできず、付添人が必要な状態であつたこと及び昭和三四年六月二四日パーキンソニスムスの病名で死亡したことがそれぞれ認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
四、(被災者の本件疾病が遺伝性のものとは認められないこと。)
成立に争いのない乙第一号証の二、証人林道倫の証言及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、パーキンソン氏病はパーキンソニスムスと異なり遺伝病であるが両者とも、ほぼ同様の線状体、淡蒼球、黒質等錐体外路中枢障害の症候像を示すが、被災者は昭和三二年一二月林精神医院で診察を受けた際には、膝蓋腱反射及びアヒレス腱反射は左弱く、右は更に弱く反応したにすぎないこと、両手を水平挙上さした場合一分後に下降し、右手にその傾向が著しいことなど小脳障害の症状がみられたこと、右各反射の不均衡及び上肢下降の各事実から医学上パーキンソン氏病でないことを推認しうることがそれぞれ認められるうえ、証人森川茂の証言、乙第四及び第五号証中には、それぞれ被災者の祖父が精神分裂病であつた旨の供述及び記載があるが、後記(第八項)認定のように被災者は右疾病に罹つていたと認め得ないうえ、証人大西清治、同林道倫の各証言及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、精神分裂病とパーキンソン氏病自体とは別個の疾病であつて、その間に何ら関連性はないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないから、前記供述及び記載からは右祖父がパーキンソン氏病であつたことを認めるに足りず、他に被災者の血縁者に右疾病患者がいたことを認めるに足る証拠はないし、乙第五号証中には、昭和二九年六月一三日県立中央病院及び、昭和三二年七月一八日県立丸亀病院において被災者はいずれも「パーキンソン氏病」の診断を受けた旨の記載があるが、成立に争いのない乙第三一号証及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果と対比して右乙第五号証の記載のみをもつて被災者の本件疾病がパーキンソン氏病であると認めるに足りない。従つて被災者の本件疾病が遺伝性のパーキンソン氏病ではなく、外来的原因にもとづくパーキンソニスムスであると認めるのが相当である。
五、(本件疾病の外来的原因について)
成立に争いのない乙第五号証及び同第三一号証、証人林道倫の証言並びに鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、被災者の疾病と認められるパーキンソニスムスの症候像に発呈せしめる原因としては、流行性脳炎、脳外傷、中毒(一酸化炭素中毒、青酸、二硫化炭素、マンガン、バルビツール酸属の睡眼薬等)、局在疾患(腫瘍、結核結節、多発性硬化症等)、梅毒、酸素欠乏(例えば縊首後)、重症貧血、脳性小児麻痺が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、次に右の各原因事実の存否について判断する。
(1) (脳炎について)
成立に争いのない乙第一四号証によれば被災者は昭和二一年五月三日から同年六月一三日まで感冒で休業した旨の記載があるが、これをもつて直ちに当時被災者が脳炎に罹患したものと認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はなく、かえつて、成立に争いのない乙第一号証の二及び証人林道倫の証言によれば、被災者は昭和三二年一二月二一日林精神医院で診察を受けた際にはその膝蓋腱反射及びアヒレス腱反射は左弱く、右更に弱かつたこと、及び右各反射の不均衡の事実から被災者の本件疾病が脳炎によるものでないことが医学上推定されることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(2) (梅毒について)
成立に争いのない乙第五号証、同第一七号及び同第三一号証、証人林道倫の証言並びに鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、昭和二五年六月一四日に被災者は梅毒につき血液検査を受けているが、その際村田法、井出法ともに陰性であり、また他の医師によりその頃、血液ワ氏反応が検せられて陰性であつたこと、脳脊髄液の検査においても梅毒反応はみられなかつたことが認められ、また、脳内が梅毒で侵されている場合、その知力が衰えるのが通例であるところ、被災者は知力の点では特に衰えていなかつたことが、それぞれ認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。ところで、前記乙第五号証によれば、被災者は昭和二六年一〇月に内海病院において梅毒性の精神病である進行麻痺の診断を受けたことが認められるが、前記各認定事実並びに成立に争いのない乙第三一号証、証人林道倫の証言及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果と対比すれば、右診断のみによつては当時被災者が進行麻痺であつたこと及び被災者が梅毒を原因としてパーキンソニスムスとなつたものと推認するに足りない。また、証人大西清治の証言中には被災者の本件疾病が梅毒に基因すると思われる旨の供述があるが、検査資料にもとづいたものではなく、前記各認定事実と対比してたやすく採用できないし、乙第二三号証には被災者が梅毒に罹患したことがある旨の記載があるが、右は被災者の長女の訴外山下孝子が昭和二五年一月二二日から診察を受けた際に医師によつて作成された書面であつて、それには被災者についての血液検査の結果、村田法「-」、カーン法「±」なる記載があるから、前記各認定事実と対比して、右乙第二三号証の記載から、被災者が当時梅毒であつて、これにより本件疾病となつたものと認めるに足りないし、他に右事実を認定するに足りる証拠はない。
(3) また成立に争いのない乙第五号証、同第三一号証及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、被災者には、前記のパーキンソニスムスの症候像を発呈せしめる原因中、局在疾患としての腫瘍、重傷貧血はなかつたことが認められ、また、その他の原因となる中毒、局在疾患、酸素欠乏、脳性小児麻痺が被災者に存在していたことを認めるに足りる証拠はない。
また前記認定のように被災者は昭和三二年一二月林精神医院で診察を受けた際には、膝蓋腱反射及びアヒレス腱反射は左弱く、右は更に弱かつたこと、及び上肢を水平挙上させた場合一分後に下降し、右上肢にその傾向が著しかつたが、証人林道倫の証言及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、右各反射及び上肢下降の各不均衡の事実からは、医学上被災者のパーキンソニスムスが外傷に起因するものであることを推定しうることが認められる。
六、(昭和一五年の被災者の受傷について)
証人森川茂の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一号証、証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、証人杉本茂次郎、同山下梅吉、(後記措信しない部分を除く。)同藤井藤太郎の各証言及び原告本人尋問(第一回)の結果(後記措信しない部分を除く。)によれば、昭和一五年四月一九日頃、訴外藤井藤太郎の運転する石を積載した貨物自動車に被災者は助手として同乗していたが、その石を下ろすため停車したところ、道路端の土が崩れ、自動車が崖から約六〇メートル下まで転落する事故があり、訴外藤井は車とともに転落し重傷を負つたが、被災者は右転落の途中に車外に脱出し、崖下まで転落せず、足及び手の打撲と足に裂傷を負つただけで済んだが、シヨツクで一時失神したことが認められ、右認定に反する証人山下梅吉の証言部分及び原告本人(第一回)の供述部分は措信できない。なお、乙第六号証には、被災者が右事故で大怪我をしたことを聞いた旨の訴外平井隆雄の供述が記載されており、乙第一六号証にも、訴外原田正雄の右同様の供述が記載されているが、いずれも伝聞で抽象的なものであつて前記各認定証拠と対比して右認定を覆すに足りないし、また、乙第一二号証中の被災者が全身打撲を受けたと思う旨の記載部分も、証人杉本茂次郎の証言と対比すれば単なる推測を記載したものであつて、これをもつては前記認定を覆すには足りない。また、乙第四号証(審査決定書)及び第五号証(裁決書)中には、被災者は右事故において頭部も負傷し、その後約三ケ月間療養をした旨の記載がある。ところで、乙第四号証(審査決定書)については、証人森川茂の証言によれば、被災者が頭部を打撲したことを確認した者は調査を受けた者の中には一人も居なかつたが、自動車の転落による事故であつたことから、右審査決定書を作成した訴外森川茂が推測して右頭部打撲の事実を記載したものであることが認められるし、また、乙第五号証については、その記載内容から判断すると被災者が前記頭部に受傷した旨の記載は右乙第四号証の認定事実及びその認定資料を援用して記載されたものと推認されるから、前記証人森川茂の証言と対比すると、右乙第四及び第五号証によつては被災者が前記事故に際しその頭部に受傷したことを認めるに足りないし、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
七、(本件受傷前の被災者の健康状態について)
被災者が本件受傷以前にパーキンソニスムスの症状を呈していた旨被告は主張し争点となつているから、以下右の点を被災者の経歴順に検討する。
被災者の経歴については、成立に争いのない乙第一四号証、同第二五号証の一、二、及び証人山下梅吉、同柏原清光(第二回)の各証言によれば、被災者は、昭和六年頃から被災者の実兄の訴外山下梅吉の経営する陸上運送会社の貨物自動車の助手として勤務し、その間昭和一二年頃一時兵役についたことがあるがその頃兵役免除となり昭和一八年二月二〇日丸金醤油株式会社に入社後、昭和二二年三月まで包装積込係、同年四月から同年九月まで整備雑役係、同年一〇月から昭和二四年六月まで守衛係、同年七月から昭和二六年一月まで整備雑役係、同年二月から同年九月二五日退職するまで容器整備雑役係に、それぞれ配属されていたことが認められる。
(1) (昭和一二年頃兵役についた際の状態)
証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証の二、証人須之内権三及び同尾崎武夫の各証言によれば、被災者は、昭和一二年頃召集を受け兵役についたが、その頃挙動に異常な点があつたため、善通寺陸軍病院に精神病の疑いで入院していたことがあるが、その際には、言語が渋滞し発声が小さく医師の質問に対しても応答が明確でなく、歩行する際も前かがみの姿勢で足を普通人の半分位の歩幅で緩慢に進めていたこと、その後被災者は兵役免除になつたことが認められる。
(2) (昭和一〇年頃から昭和一五年頃まで山下自動車に勤務していた際の状態)
弁論の全趣旨から真正に成立したものと認められる乙第一〇号証、証人森川茂の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一号証及び証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二号証によれば、被災者は、訴外山下梅吉が経営する運送会社に昭和六年頃から昭和一五年頃まで勤務していたが、昭和一〇年から昭和一五年頃までの間、動作は非常に緩慢で、芸者のような歩き方をし、煙草はゆつくりのんでいたし、呼んでもなかなか返事をしないことがあつたことが認められ、右認定に反する証人杉本茂次郎の供述部分は措信できない。
(3) (昭和一八年二月から昭和二二年四月包装積込係にいた際の状態)
成立に争いのない乙第五号証、証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証及び同第一三号証、成立に争いのない乙第一四号証並びに証人炭山武の証言によれば、昭和一八年二月丸金醤油株式会社に入社し、昭和二二年四月同社包装積込係にいた際、被災者は動作が緩慢で製品の船積み作業をする際にも、少し風が吹き船が一寸でも揺れるとバタの上でぐらつき普通の者なら落ちないと思われる場合でも落ち、また船の中で滑台を滑つて落ちてくる荷物を敏速に取つて積込むことができず、下へ荷物が落ち一旦止つてから取上げるので他の者の仕事の邪魔になる程であつたし、雨が降つたり急ぐときでもゆつくり歩き、歩く時も前かがみでよそ見をしないでゆつくり歩いていたし、表情はいつも同じような状態で変化が少なく、食事の時も先づ口を大きく上向きに開け、それから箸で飯をすくうようにし、ゆつくりと口に入れるので、普通人の倍位の時間がかかるし、煙草を吸う時もキセルや葉巻をゆつくり口にくわえて吸い込み、非常にゆつくりはき出し、歩行の際友人が名前を呼んでも、しばらくしてから返事をするなど動作がにぶかつたが、頭の働きはよく、文字も上手で俳句を作つていたこと、その間昭和二〇年一二月二七日には醤油樽積込中、右小趾に裂傷を負い休業五日間で全治し、昭和二一年一〇月二三日には右同様作業中腰椎捻挫で六七日間休業して全治し、昭和二二年二月二三日にも右同様作業中竹とげがたち込み、左拇指爪床化膿で二〇日休業して全治したが、右各負傷は通常人では起さない様な事故であつたことが認められる。
(4) (昭和二二年四月頃から同年九月頃まで前同社整備雑役係にいた際の状態)
証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証及び証人原田正雄の証言によれば、昭和二二年四月頃から同年九月頃まで前同社整備雑役係にいた頃には、被災者は、動作が非常に緩慢で食事の際など非常にゆつくりゆつくり口を先に上向けに開けそろそろすくい込む様に食べていたし、走つたり飛びはねるというような動作をしたことがないし、運動神経が非常に鈍かつたが、字は上手で俳句をやり知能面は良好であつたことが認められる。
(5) (昭和二二年一〇月から昭和二三年六月まで前同社守衛係にいた際の状態)
証人香西郁哉の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一五号証、証人炭野与四郎、同岡邦重及び同柏原清光(第一回)の各証言によれば、昭和二二年一〇月から被災者は前同社守衛係に移り昭和二三年六月まで同係にいたが、その間も動作が非常に緩慢で、給料を貰つた時など指先を除々に動かし一枚一枚全くゆつくり金員を算えていたし、物を取り上げる時には意外なほどゆつくり取り上げており、歩行姿勢は、わきめもふらず、少し前かがみ姿勢で下前方の一点を凝視するような姿勢で歩き、知人と行き違つても気付かないような状態であつたが、知能面では良好であつたことが認められる。
(6) (昭和二三年七月から本件受傷まで整備雑役係にいた際の状態)
証人香西郁哉の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証及び証人小汐正実の証言によれば、昭和二三年七月から整備雑役係に変つた頃には、被災者は、字が上手で俳句をし、知能的には欠陥が認られなかつたのであるが、運動神経が鈍いため危険な仕事や、多くの人と関連性のある危険作業には使用しないように指示されていたため、主として片付け、清掃など危険性のない軽作業に従事していたこと、昭和二四年五月頃、被災者は俳句会に出席したが、その時には会話がおそく、歩行したり、筆をとつたり句稿を書いたりするのにも非常に緩慢であつたことが認められる。
右(1)ないし(6)の各認定事実に反する証人山下梅吉、原告本人(第一回)の各供述部分は措信できず、他に右各認定を覆すに足りる証拠はない。
八、(被災者の精神分裂病の疑いについて)
証人林道倫の証言及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、精神分裂病の場合にもその罹患者或いは欠陥治癒した者には、その表情がぼんやりし、運動、言語、動作が緩慢になり、また、他人との間のやりとりが非常に悪くなることが認められるから、被災者の前記の本件受傷以前の状態が精神分裂病によるものか、否かの点について検討する。
被災者が昭和一二年頃、精神病の疑で善通寺陸軍病院に入院し、その後兵役免除になつたことは前記認定のとおりであるが、証人須之内権三の証言中には右兵役免除になつた理由はパーキンソン氏病か精神分裂病であつた旨の供述部分があり、また、成立に争いのない乙第二二号証には被災者の長女が昭和二七年一二月二日精神分裂病の病名で香川県立丸亀病院に入院したことが認められるし、乙第八号証の二には、被災者が昭和一二年頃精神病らしい事情があつて召集解除になつた旨の記載があるが、右乙第八号証の二の記載は、証人炭山恒太の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果と対比して被災者が当時精神分裂病であつたことを認めるに足りないし、証人林道倫の証言によれば、昭和三二年一二月二一日林精神医院で診察を受けた際には、精神分裂病でなかつたことが認められるし、昭和一八年二月二〇日に丸金醤油株式会社に就職し、その後継続して勤務していたこと及び右入社後被災者は知能面は特に欠陥はなかつたことは前記認定のとおりであるから、右各認定事実及び原告本人尋問(第一回)の結果と対比すると、前記各証拠及び被災者の長女が精神分裂病で入院した事実などから、被災者が本件受傷前精神分裂症であつたことを推認するに足りないし他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
九、(被災者の本件受傷前の状態についての判断)
成立に争いのない乙第五号証によれば、パーキンソニスムスの症状としては、一般に潜行性で最初に目立つのは特異な表情と眼球運動の不活発とであるが、その他躯幹運動の緩慢、振顫、突進現象の伴う特有な歩行、躯幹の前屈位、緩慢な言語等の症状であることが認められるところ、前記認定のとおり被災者は昭和一二年頃善通寺陸軍病院に入院していた頃から、本件受傷時にいたるまでの間においても、その動作、言語が異常に緩慢な状態が継続しており、勤務中受傷することが多く、また歩行姿勢は前屈して特異であり、表情には変化が少なく、反応遅徐の傾向が認められるが知能面では欠陥がなかつた事実と、成立に争いのない乙第三一号証、証人須之内権三の証言及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果を綜合すると、被災者は本件受傷前において既に前記の長期に亘つて或る程度にパーキンソニスムスの症状が恒在していたものと推認することができ、右認定に反する証人大西清治及び同林道倫の各供述部分は採用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
一〇、(本件受傷と被災者の本疾病との関連性)
被災者には昭和一二年頃から既に前記の程度にパーキンソニスムスの症状が発呈していたものと認められることは前記のとおりであるが、本件受傷前の右症状においては、右疾病に顕著特有の突進現象或いは振顫が存在したことを認めるに足りる証拠はなく、前記認定のとおり、被災者は、本件受傷前訴外山下梅吉の経営する陸上運送会社の運転助手及び前記丸金醤油株式会社においては包装積込係、整備雑役係等としてそれぞれ就労し得た程度の状態であつて、前記症状が本件受傷前において特に悪化しつつあつたことを認めるに足りる証拠はない。
ところで被災者が昭和二四年九月四日本件受傷を蒙つて後には、前記認定のとおりその約一ケ月後には両上肢に従前にはみられなかつた倦怠感を感じるようになり、一年後頃には握力が弱くなり、その約二年後退職する頃には以前より著しくその動作全般について緩慢さが目立つようになり、昭和二六年一〇月三日には動作遅鈍、言語緩慢、左右手指運動障害のため内海病院で診察を受け、昭和二九年三月には高松日赤病院でパーキンソニスムスの診断を受け、その後も他の病院で同様の診断を受けパーキンソニスムスの症状が顕著に増悪して行き、昭和三四年同病名で死亡するに至つたことは前記のとおりである。
また、被災者の本件疾病が遺伝性のパーキンソン氏病でないこと(理由第四項)被災者の疾病であるパーキンソニスムスの原因として脳炎、梅毒、その他外傷を除く外来的原因が認められないこと(同第五項)は前記のとおりであるし、昭和一五年の自動車転落事故の際、被災者が頭部に打撃を受けたことが認められないことも前記(同第六項)のとおりであり、成立に争いのない乙第三一号証及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、パーキンソニスムスは大脳と小脳の間にあつてほぼ脳の中央に位置する線状体、淡蒼球、黒質等の部分が侵されることによつて生ずるものであること、及び、外傷のみがその原因となる場合、頭部以外の外傷によつて、右疾病が発呈することは特に素質のある者について非常に稀に生ずるに過ぎないことが認められるうえ、昭和一五年の受傷時から本件受傷時までには約九年の期間が経過し、その間パーキンソニスムスの症状に特に変化が見られなかつたことは前記のとおりであるから、右昭和一五年の自動車転落事故の際に受けた被災者の受傷が本件受傷約一ケ月後からみられた被災者の本件疾病の変化についてその直接の原因を与えたものとは認め難い。
ところで、成立に争いのない乙第五号証によれば、頭部外傷による後遺症としてパーキンソニスムスが発呈する場合には、頭部外傷による脳内出血又はその侵襲が、少なくとも線状体や淡蒼球のある脳のほぼ中央に位置する部位にまで波及する場合に限られるものなることが認められる。ところで、本件受傷については前記認定のとおり、頭部における皮下に達する約五センチメートルの長さの裂傷であつて特に頭蓋骨に骨折もなく、脳内出血の有無についてはこれを認めるに足りる証拠はないが、成立に争いのない乙第三一号証及び証人林道倫の証言によれば頭蓋骨折なくして脳挫傷が生じうること及び前記脳の中央に位置する部位にまで波及する程度の脳内出血又はその侵襲は頭蓋骨骨折が生じない程度の頭部打撲によつても生じうることが認められるし、前記認定のとおり被災者はコンクリートの上にアスフアルトを塗つた堅いタンクの底に転落して頭頂部を打ち、その後は目がくらみ気が遠くなつて自ら立ち上がれない状態であつたから、当時脳震盪を起していたことが推認され(乙第一七号証には内海病院医師により被災者につき意識明瞭という記載がなされているが、証人原田正雄の証言によれば、被災者は本件受傷後、一旦、丸金醤油株式会社の医務室で応急手当を受けた後、内海病院まで連れて行かれたうえ診療を受けたことが認められ、右乙号証は右内海病院で診察を受けた際の事実を記載したものと推認されるから、前記記載によつては右受傷直後の被災者の状態についての前記認定を覆えすに足りないし、乙第一六号証及び乙第三一号証中の被災者が事故後現場で意識はあつた旨の記載は証人岡田正雄の証言と対比して措信できないし、他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。)、頭部にかなりの打撃を受けたことが推認されるうえ、証人林道倫の証言によれば、パーキンソニスムスは頭部外傷による場合事故後一年或いは二年位を経過してその症状が発呈するのが通例であることが認められるのであるから、前記認定のとおり本件受傷後約一ケ月経過した頃から上肢、頸部に倦怠感が感じられるようになり、その後握力が弱るなどの症状があつた後、二年後頃からは急激に従前の症状が増悪して行つた事実並びに成立に争いのない乙第三一号証及び鑑定人小沼十寸穂の鑑定の結果によれば、本件受傷は被災者に従前から或る程度に恒在していたパーキンソニスムスにより脆弱となつていた脳の前記部位に更に侵襲を与え、被災者の右症候の停滞状態に対して強い刺戟を加え、もつて本件疾病を急激に増悪させる誘因となつたものと認定するのが相当である。
一一、ところで労働者災害補償保険法第一条、第一二条、第一五条の規定により障害補償給付を受けうる業務上の事由による労働者の負傷又は疾病等(業務上の傷病等という)とは、業務との間に相当因果関係をもつて発生したものでなければならないが、ここにいう業務上の傷病等の認定には既往に当該疾病等につき全く白紙の状態でなければならないかというに必ずしもさように厳密に解すべきではなく、既往の素因、若しくは基礎疾病又は既存疾病が条件又は原因となつて作用したため発病したと認められても、同時に業務的要因がこれらと共働原因となり当該傷病等が発生し又は既存疾病が急激に増悪したことが、証明されうる場合には当該業務的要因と傷病等との間には相当因果関係が認められ、当該傷病等は業務上のものと認定しうるものと解するを相当とする。
本件についてこれをみるに、本件受傷が被災者の業務に際し生じたものであることは当事者間に争いがない以上、前認定の事情により被災者が半身不随となつた本件疾病は業務上のものと認定するのが相当であるから、被災者の本件受傷と本件疾病との間には因果関係の存在が認められないとの理由をもつて、被災者に対し本件障害補償費を支給しないこととした被告の本件処分は、違法であつて取消を免れないから、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 橘盛行 大石貢二 新田誠志)